ようやくブログが復旧し、一時はどうなるかと思ったのですが・・・^^;
さて、今回の『功名が辻』第43話ですが、ついに一豊は家康方につく事を決意します。
当の家康はと言うと・・・、不安に駆られたものがあったのか、今回の『行動』が『時期尚早』だったのでは・・・と感じ始めます。
確かに考えてみると、家康譜代の家臣以外は全て、秀吉に仕えていた大名ばかり。
ましてや、そんな面々が利害だけを期待して家康についたとなると、いつ『寝首』を掻かれてもおかしくは無いわけで。。。
そんな中、一豊が家康に目通りを願い出ます。
その手には・・・、先週、孫作が命懸けで一豊の下へ届けた、お千代さんから託された書状がしっかり握られていましたね。。。
お千代さんの言いつけ通り、この手紙を開封する事無く、家康へと手渡した一豊。
これだけでもう、一豊への信頼度は、かなりのアップになった事でしょうね。
その中身はと言うと・・・まず1つは、お千代さんがしたためた『家康に味方する内容』の手紙であり、もう1つは三成が家康を非難した内容が書かれた『弾劾状』だったんですね。。。
これで家康には晴れて、三成を討伐する『口実』が見事出来た訳ですが、それにしても、一豊が家康に味方すると見越してのお千代さんの『作戦』が、見事にハマりましたね〜。。。
その知略は、今は亡き半兵衛さんに負けていないかも。。。
その後、小山で開かれた『小山評定』で家康は、諸侯を集め、各々の覚悟の程を確認します。
家康の慎重な性格と言うか、重大な物事を進める上での『石橋を叩いて渡る』重要性が、とても出ていましたね。。。
その最中に一豊は何と、この戦に当たって、自らの領地や城、兵糧に至るまで一切合財を、家康に提供すると大きく出たのです!!
とは言えこれは・・・堀尾吉晴の息子・忠氏から前日に相談を受け、当日に忠氏が言うのをためらっていたのを一豊が横取りしてしまった感が強いようですが・・・^^;
そうとは露知らない家康は、驚き、そして大喜びで感謝の意を一豊に伝えます。
そんな一豊の行動に後押しされるかのように、忠氏はじめ他の諸侯達も、我先とばかりに提供を申し出ます。
それにしても・・・一豊も
『かなり』レベルアップしたようですね〜☆
最も・・・多少は此れ位『ズル賢く』なければ、なかなか大きな『功名』を立てることは出来ない時代になっていましたから、仕方の無い事なのかもしれませんね。。。
忠氏は父・茂助同様、人の好い性格だったのかもしれませんね。。。
さぁ、これで関ヶ原での決戦へ向けて、着々と体制が整ってきた家康に対し、三成の方は磐石では無い様子でしたね。。。
まず、諸侯の指揮や団結力を高める意味で、さらには『西軍の正当性』をアピールする意味でも、前線へと連れて行きたかった秀頼は、母・淀のクレームもあって連れ出すことは叶わず、更には、西軍の柱石である毛利家も、二派に割れるなど纏まりに欠けた状態。
う〜ん、戦の前からこれでは。。。勝てるものも勝てないような気が・・・。
しかも高台院は、甥っ子の小早川秀秋に堂々と西軍を裏切るよう進める始末。
何とも、ですな。。。
三成にとって痛かったのは、秀頼の正式な『後ろ盾』をアピール出来なかった事でしょうね。。。
仮に三成が秀頼を関ヶ原へと連れて行き、自らの正当性をアピール出来ていれば、『叛乱軍』は家康の方になり、事も有利に運んだでしょうから、何とも勿体無い部分でしたね。。。
それ以前に・・・三成の性格の問題もあったとは思うのですが・・・^^;
さぁ、いよいよ来週は、ついに関ヶ原での激突へと突入していくことになりますね!
戦のシーンがどこまで再現されるのか、その辺りに興味を抱きつつ、来週を期待するとしましょう☆